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ドロケー [思い出など]

地域によってはケードロという呼び方もするらしい。私が小学生の頃住んでいた地域ではドロケーと呼んでいた。警察と泥棒のグループに分かれて行う高度な鬼ごっこなのだが。このゲームを小学校2、3、4年生とよくやっていた。

当時、うちの家族は社宅のアパートに住んでいた。当然アパートの家族は全員同じ会社にお父さんが行っているので、お母さん方の結束も強い。そして、それを反映してか子供達の結束も今から考えるとものすごく強かった。おまけに私の世代は団塊の世代ジュニアといわれていて、すなわちものすごく同世代の子供が多かった。アパート郡の真ん中には公園があり、そこに毎日のように集合してはやれサッカーだ、野球だ、ドロケーだといろいろ遊んだ。

中でもよくやったのがドロケーだった。遊び仲間のリーダーとサブリーダーが分かれてチーム編成を行う。その際行われたのがジャンケンでチームの仲間を選んでいくというもの。自然、後半になると運動神経の良くない子が残ってゆき、最後は「え~、仕方ないから誰々」などといわれつつ選ばれる。子供は残酷だ。ちなみに私は大抵最後の方から2、3番目に選ばれ、そのたびに最後にならなかったことにホッとしていた。

チーム編成が終了し、ジャンケンでドロボーとケーサツのどちらかを決めた後で、各チーム作戦会議を行う。みんなアパートの周りと公園の地理を知り尽くしているので、どういう風に攻めるのか、もしくは守るのか相当綿密に作戦を練る。オトリ役、公園の下から攻めるチーム、上から攻めるチーム、掛け声のタイミング、誰が最終的に宝を奪うかなどなど、小学生にしては相当高度に組織化されていたと思う。

小学校3年に入ることにBB弾というおもちゃのピストルが大流行したときは、みんなBB弾で武装してドロケーを繰り広げた。その後BB弾でドロケーをやるとあまりにも生傷が耐えないことを反省して、BB弾はやめた。あと非常に有効に使ったのが誰かが両親にねだって買ってもらったトランシーバーだった。コレはチームでの作戦行動を行う上で相当役に立った。散らばったチームに飛び出るタイミングを指示するのに隠密性を持たせることが可能になったからだ。

このドロケーなどの遊びを通じて、同じ社宅の友達グループに対する帰属意識、リーダーに対するロイヤリティー、チームワークの大切さなどを自然に学んでいったような気がする。少子化の進む昨今の日本では、このような遊びの中から社会性を身につけるといったことが行われているのだろうかということにふと疑問を抱いた。

帰属意識:a sense of belonging


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