SSブログ

「やけにサルサダンスのレッスンに [イギリス考]

来ている人が少ないな~」と思っていたら、今日はワールドカップのイギリスvsコスタリカ戦だった。そりゃ、みんなサルサどころじゃないわいな。それでも来ているこの20名は、すなわちナニがおきても土曜はサルサを選ぶ筋金入りなんだろう。あっそしたら、俺もか。

毎週のようにしぶとく通っていたおかげもあって、何人かのイギリス人女性にも顔を覚えられ、私がレストランに入ると「ハ~イ」と手を振ってくれる方もいる。「しゃべりは下手でも、マジメでこつこつ、日本男児の真骨頂」っとまでいうといいすぎかも知れんが、毎週地味にでも必ずそこにいるということは、それだけで自分の存在を回りに認めさせる効果的な方法なのだ。最初は「どこの馬の骨とも知らぬアジアンだわね」とレッスンが終わると見向きもしてくれなかったのだが、最近はレッスン後のフリーダンスにも喜んで応じてくれる女性もできた。

サルサダンスから学ぶことは多い。以前のエントリーにも書いたことがあるが、このダンスは非常に男性にイニシアチブを求める。誤解を恐れずにあえて言うならば、男性が好き勝手に女性をクルクル回すことができちゃうのだ。男性にリーダーシップを、そして女性にそれに従う従順さを求められる。それはダンスペアの呼称にも現れる、男性側をリーダーと呼び、女性側をフォロワーと呼ぶ。

リーダーはフォロワーをある程度自分の意のままに動かすことができる。なぜならばリーダーの役割としてそれが求められるからだ。ダンスをこうしたいというリーダー側のモチベーションとイニシアチブがなければ、フォロワーは只ひたすら戸惑ってしまう。すなわち、「あたしこれからどうすりゃいいの!」となる。ある程度の指針を示せないリーダーは、フォロワーにフラストレーションをもたらすだけだ。

しかし、それはすなわちリーダーが自分の身勝手にできるということを意味しない。相手に自分のリードする方向へ導くと同時に、あいての動きをフォローしてあげなければならない。フォロワーをリーダーは意のままに動かすことができる反面、フォロワーに対する最大限の配慮が必要になるのだ。なぜならば、リーダーはフォロワーに自分の思い通りに動いてもらっているからなのだ、すなわちフォロワーの動きに対する責任があるのだ。

サルサを習って始めのころ、この感覚が非常に乏しかったために、女性に非常にフラストレーションを感じさせていた。私がリーダーとして相手を回しているのだから、彼女の失敗は私に起因するのにも関わらず、「なんてこの女性はリズム感がないんだ」などと憤ってみたり、私の指示する方向へ回っていただいたのに、さっと近寄りフォローをするタイミングを間違ってみたり。

最近、この感覚をようやっと自覚できるようになってきた。今日のレッスン後のフリーレッスンのことである。一人の女性と今日レッスンでやったダンスの復習をかねて踊った。レッスンで習ったダンスが難しいのとフリーダンスの音楽が早いテンポであることもあり、最初はリズムがあまりかみ合わなかった。女性が少しフラストレーションを感じていることを感じた私は、難しいダンスを一旦放棄し、簡単なダンスをやりながらお互いのリズムを合わせることにした。簡単なダンスにより徐々にお互いのリズムがあってくる。女性の目も少し生き生きしてくる。ころあいを計って、少しレベルを上げる。今回も上手くかみ合った。よしっとばかりに今日ならったダンスをやろうと女性に目配せする。女性は私のサインにうなずき、私のリードに従ってくれる。

クロスボディーリーブから男性側のターン、そのまま女性を前方へ引っ張り、クルっと回転、さらに回転させつつ女性を逆方向へ誘導、さらに私がターンをして、最後に女性2回転、回ったところをキャッチして基本のステップへ、リズムもばっちりでダンスできた。女性もうれしそう、私もうれしい。上手くいったところでフリーダンスの音楽が終わる。

「次のレッスン受けてくの?」と女性に聞かれたのだが、今日は他にどうしてもやらなきゃいけないことがあるので辞退した。

でも受けときゃよかったと後で激烈後悔した。

後悔先にたたず:What's done connnot be undone.


犬のフン帝国 [イギリス考]

こちらシェフィールドでは、芝生のどこそこに犬のフンがある。この間も、久しぶりに天気がよくなったもんで、芝生の上にゴロンと横になったら、危うくフンの上に寝転がるという不名誉にみまわれそうになった。

この前は、「Tough(きついぜ)!」との文句と共にフンの写真が書かれた「犬のフン反対」ポスターの真横に犬のフンを見つけた。こりゃなんかのいやがらせか?とイギリス人の笑えない冗談に眉をしかめた。

最近は通学路に「犬のフンは飼い主が責任を持ってビニールに入れてもって帰ろう」という意図で作られたでっかいポスターが貼られた。ポスターには犬のフンの入ったビニール袋を片手に満面の笑みのお兄ちゃんがいらっしゃる。

毎日、毎日、それを2回見ないといけないんです。  シクシク

芝生:grass


ゴードン・ブラウン氏について [イギリス考]

昨日は、ヨーク大学にて現在イギリス財務省にて働いていらっしゃるT氏のお話を聞く機会を得た。日本財務省からの出向という形で3年ほどイギリス財務省で働いていているT氏は、そのため両方の財務省について知悉しておられる。よって講義は「日本と英国の政治、行政の比較」と主題を打ち、T氏の実体験を交えた英国の行政スタッフの現状を軸に、日本の行政スタッフ(すなわち官僚)を取り巻く環境との比較、今後へ向けての提言などを盛り込んだものであった。

此処で、英国財務省と聞いてイギリスの政治を知っている方はピンとくるかも知れない。というのは、英国財務省は現在のブレア首相の後任として労働党党首になることが確実なゴードン・ブラウン氏を財務大臣として頭にいただいている省なのだ。教育改革法をめぐっての党内のごたごた、相次ぐ部下の不祥事によってブレア氏の党首続投は厳しい状況になってきている。今後の労働党が与党として生き抜いていくためにはブラウン氏が党首になる以外はありえないという状況だ。

もちろん、次の選挙で労働党が勝った場合という条件尽きだが、彼が次期の英国首相になる可能性は非常に高い。そうすると、彼のパーソナリティーや政治的スタンスがそのまま今後の英国政治の方向性を決めてゆくということになる。イギリスの教育政策をこちらで勉強しているものとしては、非常に興味深いものがある。

今回の訪ヨークにあたっての私の最大の関心事はゴードン・ブラウン氏がどんな人物であるのかであった。そのため講義の後の質疑応答の際には、日英政治比較が主題である今回の講義とは相当トピックが離れてしまうという失礼は承知で、ブラウン氏の政治スタイルについてお話を伺った。

T氏のお話によると、ゴードン・ブラウン氏は強固に時分の政治スタイルを持っており、そのスタイルは伝統的左派の「弱者保護」。非常に興味深かったのは、昨年2月4日、5日両日にロンドンにて行われた「経済のサミット」とも言われるG7財務省・中央銀行総裁会合があったのだが、その主要テーマを開発途上国、特にアフリカの貧困国の支援としたのは、彼の強力なイニシアチブがあったからこそなのだとか。以前にも、「重債務貧困国に対する債務返済免除に、IMFが保有している金(きん)を使え」(ゴードンブラウンその救世主的な情熱、極東ブログより)などといった発言をするなど、相当過激な左派の方のようだ。

党首になるにあたっては労働党右派との協調から、多少中道に近くなるであろうが、それにしても労働党右派のブレア氏から左派ゴードン氏への禅譲により、政策の重点に相当な変更があるのは間違いないと思う。

なおT氏は「英国便り」という名のご自分のホームページをお持ちで、その中でご自分の英国財務省での経験をつづっていらっしゃる。英国財務省と日本の財務省の比較についても詳しいので興味のある方はぜひ見ることをお勧めする。(月刊現代2005年5月号掲載記事「若きキャリアの日英『官僚格差』論」

禅譲する:abdicate

 

 


感謝を表す言葉 [イギリス考]

イギリス人はよく感謝の言葉を口にする。バスを降りるときに、レジでのお勘定後に、扉を開けておいてもらったときに、ものを渡してもらったとき、などなど。感謝の言葉をさらっと言うことで、まったくの赤の他人に対してその瞬間だけ少し心が近づいたような感じがする。日常的に良く私が耳にする感謝の言葉をフォーマル、インフォーマルの違いでレベル分けするならば以下のようになると思う。

1、Thank you 

2、Thanks

3、Cheers

4、Ta

私が一番良くこちらで使うのは3のCheersである。最近では、ちょっとした瞬間にさっと「Cheers」が条件反射のように出てくる。それ以外にも状況によって1も2も良く耳にするし、私も使う。

4の「Ta」は一番インフォーマルな感謝の言葉である。この言葉も街中でよく耳にする。良く使われるのは「Ta」の後に「Love」を付け加えて「Ta Love!」という言いまわしだ。「Love」のveはまったく発音しないので、「タラ!」と聞こえる。良く耳を澄ましていると、結構どこそこで「タラ!」と言っているのを聞くことができる。

イギリスの方言みたいなものなので、同じ方言を共有しているもの同士の連帯感のようなものをこの言葉は生み出す。最近も、テスコのレジのお姉ちゃんに帰り際「タラ!」といったら、うれしそうに手を振ってくれた。

レジ係:cashier


ジャガイモ考 [イギリス考]

「んなもん知るか。あたしらのご先祖様は、イギリスの連中がアイルランドの食べ物を奪っていったとき、ジャガイモだけ食べて生き延びてきたんだよ!」

とは、以前お世話になったアイルランド人宅のお母さんの言。

前回のエントリーでジャガイモまみれの生活に突入していることを紹介した。今もジャーマンポテトを5つ平らげ、ひと心地ついたところである。こうも毎日ジャガイモと向かい合っていると、「何でこんなに毎日イモまみれなんだ、まったくイモイモしい!」と訳のわからない気分がもたげてくる。いや理由は簡単、私が買ったからなんですけどね。だって安いんだもん。

安いのは生活の根幹に関わるからなんだろう。何はなくともジャガイモがある、という感じ。以前、林望さんの著書「イギリスは美味しい」で「イギリスの主食はジャガイモである」といった内容の記事を読んだことがある。確かに、日本でも知られているイギリス料理「フィッシュ&チップス」は、揚げた白身の魚と大量のポテトチップスだ。こちらイギリスにおいても食生活の多様化と共にさまざまな食べ物が楽しめるようになってはいるが、やはり人々の底辺を支えている食べ物はジャガイモなんだと思う。

イギリス以上にジャガイモを食べる国といえばアイルランドだろうか。以前お世話になったアイルランド人宅では週に5回はジャガイモ料理だった。あんまり毎日出てくるものだから、ここまで生活の根幹をなすジャガイモが入ってくる以前のアイルランドでは何を食べていたのか聞いてみたことがある。するとお母さんは多少気色ばんで上記のごとく答えてくれた。その隣で次男が苦笑しつつ「麦だよ」と教えてくれた。

天候にあまり左右されず、やせた土地でも安定した量の収穫を望め、単位面積当たりのカロリー量が麦の1.5倍になるというジャガイモのヨーロッパにおける影響力は無視できないものがある。南アメリカから紹介された当初は、そのグロテスクな見てくれから「毒性があるのではないか?」と敬遠されていた時期もあったらしいが、ドイツで栽培を奨励されるようになってから急速に他の国々にも広まり、人々の栄養状況を大幅に改善した。特に恒常的に食料不足に苦しんでいたアイルランドではやせた土地でも栽培でき、小麦と違って地主に収める必要がないジャガイモがそれこそ爆発的に普及したようだ。

あまりにも依存しすぎていたために、アイルランドでは19世紀に起きた「ジャガイモ飢饉」により100万人の餓死者を出したという。そして、200万人の人々がアメリカやカナダ、オーストラリアへ移住せねばならなくなった。その中の移民を先祖とする有名な政治家にケネディー大統領がいる。彼が及ぼした世界における政治的なインパクトを考えると、ジャガイモが今日の世界の政治に与えた影響力は計り知れないものがある。

ちなみに「ジャガイモ」という名称であるが、オランダ船が日本へこれをもって来た際、ジャワのジャガタラから運んできたという事に由来する古い和名「ジャガタライモ」から変化したものらしい。

以上、ジャガイモはとーっても由緒ある大事な食べ物なんです。ビタミンも豊富だしね。

だから明日もジャガイモ食べるのさ。

栄養状況:nutritional condition


イギリスの信号機 [イギリス考]

図書館で勉強しようと、いつもの通図書館路を歩いていて、いつものごとく信号機につかまった。なんのけなしにボヘーっと車用の信号機を見ていて、ハッと日本の信号機との違いに気がついた。
こちらシェフィールドの信号機は赤、黄、青のライトがついている。形自体は日本のものとそれほど代わりはない。ただ、点灯の仕方が少し日本と異なる。

物語風に少しシュミレートしてみよう。

『その日Aはあせっていた。日本の大手鉄鋼会社のロンドン事務所に派遣され2ヶ月目、今日は、ようやくこぎつけた某在シェフィールド製鉄会社との提携話をむこうのディレクターレベルとを交えてする予定なのだ。午後4時にシェフィールドで会合を持つことになっていたので、十分時間の余裕をもってロンドン発シェフィールド着の電車のチケットを買っていた。ところがロンドン発の電車は定刻を過ぎてもいっこうに出発しない。一時間以上電車の中で待たされようやく出発。「皆様、定刻よりも遅くなりましたことをお詫び申し上げます。」とぜんぜん悪びれた風もなく、なぜ遅れたのかの説明もなく車内アナウンスが流れる。時間ぎりぎりになりそうだということを先方に伝えとこう。

「あれっ?」  携帯がない。

どうやらアパートに置き忘れてきてしまったようだ。やばいことになってしまった。多少の混乱の後、Aはちらりと時計を見る。定刻の一時間遅れであれば、何とか3時30分にはシェフィールドに着くはずだ。

電車は3時25分にシェフィールドに着いた。駅を降りるとすぐさまタクシーを捕まえる。ドライバーによると、その住所までだと此処から20分はかかるらしい。手に汗握る展開となってきた。最初の何個かの信号は、彼の祈りが天に通じたのか、タクシーを止めはしなかった。必死になっているAを茶化して、パキスタン人の運ちゃんは「ヘイ、ユーアーラッキーボーイ!」などとはいている。しかし、後もう少しでつくぞという直線にかかったところで信号が黄色に変わるのが見えた。そこはぶっちぎって行っちゃうでしょー。えっ止まっちゃうの!?うっそ。アイムアセイフティードライバーってそんな顔じゃねーだろお前。

極度にイライラしつつ、信号が青になるのを待つ。ヘイ、イージー、イージーなどというドライバーの軽口は完全無視で、歩行者用の信号を食い入るように見つめる。くっそー何でこっちの歩行者はこんなに歩くのがトロいんだ。早くわたれよ。おっ、やっと信号が点滅したぞ、よーしそーだ赤くなった!
さてこちらは青になって出発シンコー!

っと思ったら黄色のライトがピッコンピッコン点滅した。』

長ったらしいイントロのわりに、此処で私が言いたいことは要は最後の一行なんである。すなわち私が言いたいことは「此処の信号は赤から青になるに際して、日本のようにすぐさま赤から青に変化するのではなく、黄色の注意信号を点灯させる」ということだ。青から赤への変化時に点灯する黄色のライトが日本同様「もうすぐ渡れなくなりますよ、注意してね。」の意味だとしたら。こちらの赤から青になるときに点灯する黄色信号は「もうわたれるけど、歩行者がくるかもしれないから気をつけてね。」という意味なのだろう。

そういえばこちらシェフィールドでは信号が変わっても、なんとなく人と車が「お先にどうぞ」「イエイエあなたから」といった感じで、道を譲りあったりしているのを良く見る。正直なところ日本式の赤から青になるやいきなりブーンと急加速のシステムに慣れ親しんだ私としてはなじめなさそうなところがある。

どうやらやばいことになってしまった:Things have gone wrong.


ジョークに見るイギリス人のアイルランド人観 [イギリス考]

アイルランド移民の子孫である、J・F・ケネディが大統領になったときに「アメリカはアイルランド人でも大統領になれる国なのかよ。」とイギリス人が鼻で笑ったというのは、結構有名な話である。

近いがゆえにお互いのいやなところや変なところがやけに目に付く、という現象は何も日本と韓国、北朝鮮、中国などにかぎったことではない。こちらイギリスにおいても同様の感覚がフランス人やアイルランド人に対してある。特にアイルランドに対してのさげすみぶりはひどく、根が深い。いつだったか、アイルランド系アメリカ人の一人が「アイルランド人は白人で唯一、人種差別を受けたことのある民族である。」と豪語しているのを聞いたことがあるが、唯一云々は差っぴいて聞くとして、彼の話にはある程度の真実が含まれていると思う。

実際歴史を見てみるとこの二つの国の因縁は根深い。イギリスのアイルランド支配は1649年のクロムウェルのアイルランド征服にまでさかのぼる。その後、長きに亘りイギリスの支配を受けるが1922年に自治領としてアイルランド自由国を作り、49年にアイルランドという国名で正式独立をする。なお、イギリス系移民の多数いる北東部は未だにイギリスの一部である。統治している期間中のイギリスの支配は苛烈だったらしい。例えば、同化政策の一環として領主(大抵イギリス人)の「初夜権」というのが実際あった。これは自分の領地内で結婚する女性とその領主は初夜を共にする権利があるという、非常にエグイ法律であった(初夜権にまつわる悲劇についてはメル・ギブソン主演の映画「ブレイブ・ハート」で描写されています、あっちはスコットランドの領内ですけど)。

イギリス側の苛烈な支配、巧妙な懐柔にもかかわらず、しぶとく自民族のアイデンティティーを守り抜くアイルランド人。イギリス人はそんな彼らと常に接している中でアイルランド人を「どんなことをしても言うことの聞かない頑固なばか者」とみなすようになっていった。未だ、アイルランド人をさげすんでみるイギリス人は結構いる。以前お世話になっていたアイルランド人のお宅の次男は、職場で上司に「私はアイルランド訛りの男が大嫌いなの。」と彼の目の前で言い放たれたという。アイルランド人を小ばかにするジョークもたくさんある。

以下は最近聞いたアイルランド人に対するレイシズムジョークだ。
①「あるとき、アイルランドで墓地に30人乗りの飛行機が墜落した。死体捜索人は30人以上の死体をその場で見つけ出した。」
②「質問:電球を替えるのにアイルランド人は何人必要か。
  答え:5人
  理由:電球をつかむ者一人、そいつを抱えて回す者四人」

この二つのジョークを聞いたとき、以前お世話になったアイルランド人のお宅の人々の朴訥とした風体を思い出し、不謹慎にも大笑いしてしまった。ある国の人々をステレオタイプ化してジョークにするという行為に対して、こちらの人々は日本人の我々が思っているほどには抵抗を感じないようだ。また、アイルランド人達も自分の達の国民性についてはある程度客観的に自覚しているようで、実を言うと、②のジョークはアイルランド人によって作成されたものである。

人種差別:racial discrimination


School Rform Law が下院を通った。 [イギリス考]

今日のBBCニュースから
「ブレア政権が現在非常に物議を醸し出している学校改革案を下院に提出、保守党の支持のもと下院にて可決を勝ち取ることができた。」

この法律が可決することによる教育界へのインパクトについては未だ、しっかりと考えがまとまらないので、今日は書かない(ごめんなさいへたれです)。それより、これを通したことによるブレア政権への政治的インパクトについて、今分かっているところを紹介したい(まーBBCを読めば分かること程度なのですが)。

先ず、注目すべきなのは「保守党の支持の基」という一節であろう。以前のエントリーにも書いたが、保守党の指示を取り付けての法案可決は、党自信を傷つけかねない諸刃の剣であった。それをあえて保守党の支持を取り付けまで通したのには、就任の当時よりも教育改革に力を注いできたブレア首相の執念ともいえると思う。そして結果はやはり予想道理労働党にダメージを強いるものであった。先ず下の開票結果を見てもらいたい。

開票結果
賛成:458表
反対:115表
与党(労働党):343名
労働党で反対に回った者:52名
労働党で棄権した者:25名
保守党で棄権した者:20名

労働党の議員のうちの約4分の1が反対もしくは棄権をしている。与党労働党内でのこの法案を通すことに対する結束が固まっていないことを浮き彫りにする開票結果となった。それに引き換え対照的なのは保守党である。保守党の議員で反対に回った議員はいない、20名が棄権をしたのみである。この法案に対する保守党内での結束の強さが労働党との比較の中で引き立つ。

党内のコンセンサスの高さは安定的な与党の条件である。それが今回の開票結果で労働党は自党の不安定さを見せ付けてしまった。加えて、保守党と手を組むことで労働者階級を代表する政党という自党の立ち位置を危うくさせている。この結果は次の総選挙に響くのではと考える。

しかし、当のブレア首相は、教育大臣のケリー女史いわく「3分の4もの労働党の仲間の指示を受けこの法案が通ったことを喜んでいる。」とのこと。

以前より、後継と見られる議員とみつに連絡を取り合っているといわれるブレア首相。自分がやめることを前提に、党内に向けられる矛盾点はずべてかぶる、その代わりに最後にやりたいことはやってやる、という意図なのだと思う。

投票:vote


School Reform Law [イギリス考]

現在、イギリスでは教育に関わる法律が成立するか否かのただ中にある。以下英国BBCニュースのインターネット版で、問題の法律についてQ&A方式でまとめられていたので要約したい。

1、目的

トニー・ブレア首相の言によれば「学校に更なる自由を」というもの。具体的には、イギリスのセカンダリースクール(日本で言う中学校、高校レベル)レベルで新たにトラストスクールという形式の学校を設立しこの形式をイギリス国内に広める。トラストスクールの特徴として①学校が独自に自校の校舎や敷地をどの場所に立てるかもしくは購入するかについての選択権がある。②学校が独自にそのスタッフを雇い入れることができる。③入学選考基準について学校が独自に設定、管理をすることができる。の以上が上げられる。従来の学校は維持する中、このトラストスクールが従来型の学校にも刺激を与える役割を果たすことが期待されている。

2、インディペンデントスクールとの違いについて

インディペンデントスクール(財源が国から独立しているという意味で、日本の私立と同じであると考えていいと思う)がトラストスクールの手本になっているのは間違いない。しかし、トラストスクールは①授業料を課すことができない②利益を求めることができない③必要以上の資金を受け取ることができない、などの制約がある。

3、選抜

学校に入学選考基準設定についての大幅な自由を認める。ここで問題となるのは、大幅な裁量権を学校に持たせることが秘密選考(covert selection)を助長してしまうのではないか?という懸念である。これを防ぐため、トラストスクールも「選考実施要綱」(the code of practice on admition)にしたがうべきである、とする。そしてトラストスクールは「選考実施要綱」をただ単に「勘案する」(have regard to)のみならず、それに「のっとり作成」(act in accordance with)せねばならない、としている。

4、面接の是非

昨今、選抜方式として批判の対象となっている入学希望者とその両親に対する面接については違法とする。

5、地方事業機関について

大臣は、地方教育機関(LEAs)には、戦略的監督権(strategic oversight)が与えられると言及している。また、LEAsは選抜方法を含む学校運営に関する合意事項を共有するための「フォーラム」を主催する。「フォーラム」はすでにイギリス国内に存在するがその形態はまばらである。そのため背中案として、「フォーラム」選抜要綱に違反する学校について問題解決の決定権のある機関(Schools Adjudicator)に照会する権限を与えるというものがある。問題解決の決定権のある機関(Schools Adudicator)は選考方針にのっとり裁定を下すが、単独で介入はできないし他の機関が照会してきたもの意外は違反について知れ得ないようにする。

6、親権者の学校選択権

政府の説明では、この制度により両親の学校選択の幅が広まるということになっている。しかし、学校が満杯になれば、当然生徒達の場所を確保することはできなくなる。新しい選抜方法により学校は遠距離の生徒をも受け入れることができる。これにより学校の近くに住んでいる「貧しい」「比較的能力の低い」生徒を締め出してしまう危険性があると考えられる。一方、良い学校に入れるためにお金持ちが良い学校の学区に集まることからくる地域格差を是正する効果があるとして、政府案に対して肯定的な意見もある。

政府が提案しているトラストスクールに対する、市井の反応はそれほど芳しくない。この法律が成立しても、それほど急いでトラストスクール設立に民間は流れないだろうというのが大筋の予想である。ただ、「教育、教育、そして教育だ」とのスローガンで知られるブレア首相だけにこの法律を通すか否かは彼の沽券に関わることであるし、実際この法律案の転びようによっては彼の政権に相当なダメージがもたらされるとの予想が立っている。

沽券に関わる:be beneath one's dignity




マンチェスターに行ってきた [イギリス考]

月に一回ほどのペースで、今通っている語学学校がバス遠足を行う。シェフィールドを中心にバスで大体2時間以内で行けるところへ、生徒たちを連れて行ってくれる。そして、今日はマンチェスターであった。

マンチェスター・ユナイテッドというサッカーチームを聞いたことがある方は多いと思う。イギリスで(いや世界でかも?)最もお金を持っているサッカークラブである。マンチェスターはそのチームのホームタウンである。ここマンチェスターには、マンチェスター・ユナイテッドのほかにマンチェスター・シティというサッカークラブがある。余談だが、ここ出身のバンド、OASISはシティのサポーターである。

世界的に有名なサッカークラブのホームタウンであるということ意外に、忘れてはならないのが、マンチェスターがイギリス産業革命発祥の地であるということだ。イギリスの産業革命発祥の地ということは、世界の産業革命の発祥の地ということである。イギリスが世界中で売りさばいた綿花製品、その生産性を極限まで上げるために、工場制手工業に始まる生産形態改革やさまざまな道具の発明がなされたのである。19世紀を通してマンチェスターは世界の産業の中心であった。

産業革命の先駆であるのと同時に、マンチェスターは社会問題の先駆でもあった。労働者たちは劣悪な環境の下、なんら社会的権利を主張する力も与えられずただただ働かされていた。例えば、4歳にも満たない子供が炭鉱の狭い坑道に押し込まれ労働していたという。カールマルクスの盟友であるエンゲルスがここマンチェスターにおいて、世界最高水準の国の労働者達がいかに厳しい経済状況そして政治的に無力であったかを目の当たりにしたことで、自身の社会主義者としての自己を確立していったことは有名である。実際、マルクスとエンゲルスはマンチェスターの事例を彼らの理論を構築する上でのたたき台にしている。

そんな、マンチェスターなんである。

さて、バスはシティセンターのはずれにあるThe Museum of Science & Industryという博物館の前で我々をおろした。博物館は以前の綿花工場跡地を利用したものだ。以前のエントリーにも書いたシェフィールドの鉄鋼博物館に然り、どうも以前の工場を博物館化する癖がイギリス人にはあるようだ。博物館見学はガイドのおばさんについて回った。交通渋滞のためにバスが定時よりも1時間遅れてしまったため、ガイドのおばさんは足早に説明をしては次、次と進んでゆく。それでも産業革命時のイギリス人がいかに試行錯誤をしていたのかを垣間見ることができた。しきりにマルクス&エンゲルスとマンチェスターの関係について聞く私に、ガイドのおばさんはそんなに興味があるのならここへ行きなさいと地図を渡して、指差してくれた。そこはChetham's School of Music。何でも学校の敷地内にある図書館がマルクス&エンゲルスと関係があるそうだ。

昼ごはんはフィッシュ&チップスで早々に済ませ。早速、その図書館に向かうことにした。ついたChetham's School of Music はなかなか立派な石造りの建物であった。入り口には警備員がいたのだが、マルクス&エンゲルスに関係のある図書館を見てみたいのだというむねを伝えたら、快く中に入れてくれた。学校に入ってわかったのだが、この学校の教室棟が城のように中庭を囲んでいる。なんというか、ハリー・ポッターのホグワーツ学院を小規模にしたような感がある。入り口から中庭をはさんで反対側に目的の図書館はあった。図書館といっても特別に建物が独立してあるわけではなく中庭を囲む城の一角が図書館になっている。

中は非常に趣きがあった。少しかがまなければ入れないような木の扉を開けてもらうと二階に続く階段があり、そこを上ると何百年もそこにありそうな本がズラーと並んでいる。不用意に触られることで本が悪くなるのを防ぐためであろう、どの本棚にも鉄の網カバーがついていた。そのことを差し引いても、歴史を感じさせる建物の中で本に囲まれる幸せを感じることができた。図書館の館長さんらしき人にマルクス&エンゲルスとこの図書館の関連性についてたずねてみた。すると、マルクスとエンゲルスが資本論に取り掛かっている間にこの図書館の一角を利用していたのだという。そこをたずねてみたかったのだが、現在他の団体がその一角を予約しているため今日は立ち入ることはできないといわれた。

帰りのバスの中で図書館でもらったパンフレットを読んでいてわかったのだが、私の今日訪れた図書館は1653年に設立されたイギリスで現存する最も古い図書館なのだそうだ。

先駆:precursor


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。